宮の坂ドライブイン

あった事を書く

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こちらに来て一週間と二日が経ちます。私の暮らす寮の一階には事務所があり、駐在するスタッフは全員日本語の出来ない現地アルバイトであるため、日用品の補充などの簡単な用事の他、寮費の支払いなど、複雑な構文を要する内容もこちらの言葉で話す必要があります。

その上で、前者はともかく、後者の場において私の言葉はほぼ役に立ちません。ただこれは予想の範囲内で、通じないこと自体は気にしていません。ジェスチャーや筆談でなんとかなるからです。

 

一方、私の同室はこの国に数年暮らした経験を持つため、流暢な現地語を話し、要件を伝える他に雑談をこなします。彼らは今の私には聞き取れない何かを話し、笑い、交流を深めていきます。その時間、彼らのコミュニケーションの場に私は存在できず、彼らの興味は一切私に向けられないことになります。

 

ようするに、この国の言葉が話せない、聞けない、意志の疎通ができない私は、コミュニケーションの相手としてどころか、アクションを起こすべき対象の一つとしてですら扱ってもらえない(こともある)のだということです。

これは結構つらく、なぜかといえばたとえば日本で同様に会話に入れないということになったら、それはきっと意図的なものが大きく、自尊心その他の精神面に関わる問題であり、私は今回の事態もそれと混同してしまっているのだと思います。

それから、こちらで出会う人間全てが異国からの留学生である私にやさしく接してくれるのではないか、私のたどたどしい言葉を理解しようと努めてくれるのではないか、というような、そういう都合のいい状況を思い描いていたところが大きかったのではないかと思います。

 

そこまで想像がついて、それでも私の中には今、彼らの会話に入りたい、私という存在を認識させたい、という欲求が強く残り、だったら言語力の向上に努めるしかない、と、そういう気持ちでいます。こうして目指す目標とそこへ至る道筋が具体化できたのはとてもいいことなのではないかと、そう自分で評価しつつ、明日に備えて寝ます。赤道に近いこちらは昼はとても暑いですが、夜はわりに涼しいです。おやすみなさい。