宮の坂ドライブイン

あった事を書く

獅子のねむる(加筆修正版・原文)

(うたプリ・レンマサ)

 聖川真斗は神宮寺レンを嫌っている。

 それこそ物心つくよりもっと早いくらいの頃から、聖川の体には神宮寺家への敵意というのが呪いのように染みついていた。それは神宮寺の者がいかなる手段をもって、聖川の父の(もしくは彼が率いる財閥の)行く手を阻んできたか、そしてそれらがいかに卑劣で狡猾極まるものであったか、聖川の枕元で毎夜懇切丁寧に説き続けた彼の目付役の努力の成果であり、何よりそれを一切否定しない父の姿に、幼い聖川がその全てを真実として受け止めた結果の一つでもあった。

  

 けれどそれ相応の時間が経ち、全能にすら見えていた父が、実のところ自分と同じ世を生きる一個人でしかないらしい?つまりは彼の言葉が世界にとっての全てではないらしい?と、聖川もやがてそういうことを悟った。そうして聖川も、世の青少年たちがおおよそそのようであるように、父親という存在に対する若い反感を抱いたし、植えつけられた観念を破り捨てよ、己の手で構成し直した価値観だけが正しい、というような青い美意識をもった。それには、誰でもない神宮寺とのあの幼く密やかなやりとりが関係したからかもしれなかったし、しなかったかもしれない。そのとおりであると素直に認める自分も、意地になって否定し続ける自分も聖川には許せず、つまりあの日(あのふざけた別れの日だ)が、まだ確かに聖川の一か所を占めていた頃の話である。

 

 当時聖川の通った早乙女学園に、その神宮寺レンは在籍していた。学内で聖川が耳にする神宮寺についてといえば、惚れたやら腫れたやら、典型的な色をした事柄がほとんどであって、事実、始業前の廊下、昼休みの食堂、聖川の肉眼に映る神宮寺の姿も、数人の女子生徒をその側に侍らせ、締まりの無い笑みを振り散らかすそれであった。加えて勉学の意義を軽んじる不真面目さ、異国の言葉をむやみやたらに羅列しようとする軽薄さ、およそ全てが聖川には不可解であり、つまり理由なんていくつでもあったので、もしこの瞬間、聖川の社会的に背負った縛り(たとえば財閥の名であるとか)の一切が取り払われたとしても、神宮寺レンという一人の人間を嫌悪するのにおそらく自分は全く不自由しないと、その頃聖川はそんな確信を抱いてすらいた。

 

 嫌悪、以上を踏まえて聖川真斗は神宮寺レンに対しての感情を最終的にそう名付けた。忌むべき存在、拒むべき人間、当時聖川真斗にとって神宮寺レンはそういう男であった。

 

 おまけに言うなら、寮生活が義務付けられたその学園で二人は同室同士であり、はたして二人の生活習慣はほとんど全く相容れなかった。聖川は定規で測ったような生活を送る男であり、夜は大抵日付の変わってしまう前に眠り、朝は日の出と共に起床する。だから、どこかでそういう事をして、そしてさんさんと降り注ぐ朝日と共にこの部屋へと帰ってきた神宮寺の、シャワーでは流しきれない化粧と香水と汗と、その他が入り混じったような、そういう性の匂いが既に覚醒している聖川の鼻をつく事も多かった。それは、聖川が胸の奥に隠したひだをざらざらと逆なでするのに十分淫靡で、つまりは不快であった。

 

 それがこの日、その神宮寺が赤い夕日の沈み切らないうちに二人の部屋まで戻ってきたかと思うと、普段ならとっくに夏の夜風に晒しているはずの(聖川は何度も注意をしたが神宮寺は全く聞き入れなかった)その体すら、学園指定の紺のシャツに覆わせたまま黒いシーツに伏せっているので、なんと珍しいこともある、とさすがの聖川も素直な感想を抱いて何とはなしにその様子を見ていた。

 

 神宮寺の髪の色は異国の人間のようにあかるかった。一世風靡に世を騒がせたその母から色濃く受け継いだらしいそのブロンドに、海の青をわずかに濁らせたようなターコイズの瞳という、少し暗めのトーンの肌によく映える取り合わせで、彼の顔周りの色彩は構成されていた。

 シャンデリアの白い光を薄く金色に跳ね返すそれを初めて目にして、その時聖川の脳裏に浮かんだのは、いつか絵本で見たライオンの立ち姿だった。オズの魔法使い、エルマーの冒険、目付け役の朗々とした声で綴られる物語に登場するライオン達は、個々に備えたその性格こそ違えど、丸くふくよかな足で悠々と大地に立ち、大きく豊かなたてがみを太陽に光らせ、どれもみな美しい姿をしていた。いつか背の低い緑の生い茂ったどこまでも広い平原で、太陽のにおいの立ち上るだろうその大きな背に登ること、それこそが幼い聖川の夢であった。

 

 神宮寺レンが、全身を横たえてなお持て余すサイズのベッドに横たわり、長い手足を投げ出して眠る姿は、やはり伸びやかな獣の様子を聖川に連想させるのだった。月日を経ても変わらず鮮やかな色を保つその髪は、シーツにたゆたうかのように豊かに散らされて、明かりの消された暗闇の中でもなおその輝きを失わない。さらさらとひろがり波打つ金の髪を見ていて、聖川は触ってみたい、と思った。

 聖川はそんな自分の欲求にはじめかなり驚いた。男の髪に触れたい、その欲望が正常でない事など、聖川だってよく理解していた。しかし一度その思いを意識してしまうと、それは鎌首を余計むくむくともたげてくるのだった。  

 ううん、と神宮寺が低く唸るのにつれて、彼の頭もくるくると左右に揺り動いた。神宮寺の髪はさらさらと確かな質量をもって波立って、それを見た聖川はいよいよ、二色に塗り分けられた互いの境界線を踏み越えて彼のベッドに近寄った。ベッドサイドから音を立てぬように身を乗りだし、彼の後頭部に向けて聖川が右腕を伸ばした時、身を起こした神宮寺が聖川の二の腕をつかみ、そのままベッドに引きずりこんだので、聖川の体はぐんと厚いマットレスに押しつけられた。

 昨晩を共にした女か、それとも今晩を予定していた女か、聖川は神宮寺が寝呆けているのだと判断した。電源の落とされた蛍光灯を目の端に捉えながら息を殺していると、擦り寄るようにして神宮寺が頬を寄せてくるので、聖川の手足は痺れたように固まった。その頃の聖川は若く、青く、そしてやはり未熟であったので、そういう事に対する耐性を持ち合わせていなかった。

 

 「…お前」

 しかし低い声が耳元で響いて、聖川はその判断が誤りであるのを知った。フェミニストで軟派で外づらだけはとにかくいい神宮寺が、お前という蔑称で呼んだのはその頃学園で聖川ただ一人であった。のど元にせり上がってきたなにかで聖川の喉はひゅうと鳴った。  

 「聖川お前、オレが怖いんでしょ」  

 そういう神宮寺は楽しんでいるようでも、心底怒っているようでもあった。神宮寺の青い目は暗闇に色を深めていて、彼が目の前に居る自分を見ているのか、それとも別の何かを見ているのか、聖川には判断がつかなかった。

 

 「お前の事なんて嫌いだ」

 そう告げた神宮寺がベッドを降りてリビングを抜けて行き、部屋にはやがてシャワーの音が響いた。時計はやがて午前をさして、甘ったるい香水の匂いがするベッドの上で、聖川はずっと動けずにいた。

 

 

 

 

(20130506)

 聖川真斗は神宮寺レンを嫌っている。

 

 聖川と神宮寺。背負う財閥の冠する名を考えてみれば、それはそもそも至極当然の事であった。  

 まだ幼い頃、聖川の体には神宮寺家への敵意というのがそれこそ呪いのように染み付いていた。というのも、誰でもない彼の父が、取り仕切る会社の、もしくは彼自身の行く方を神宮寺の者にいかなる狡猾な手段をもって阻まれてきたかを繰り返し説いたからであり、言葉通りに物心のつく前の聖川が素直にそれをそのまま受け入れ信じ込んだからであった。  

 しかし時が経ち、全能にすら見えていた父が、己にとっての全てではないのだとやがて悟った聖川は、植え付けられてきた価値観を自ら構成し直そうとすらするようになった。それには、誰でもない神宮寺との幼く密やかなやりとりが関係したからかもしれなかったし、しなかったのかもしれない。なぜならそれもあのふざけた別れまでの話であり、今となれば認めたくない過去だからである。  

 

 さて学園で再び出会った「神宮寺レン」は、例えそんな社会的な確執を除外出来たとて、聖川が嫌悪するのに全く不自由しないような人物へと変貌を遂げていた。  

 例えば、勉学に不真面目な所、異国の言葉を好んで使う所。何より、婦女子に対してのあの浮ついた態度にはすっかり辟易していた。始業前の廊下、昼休みの食堂。神宮寺はいつだって数人の婦女子をその側に侍らせ、軟弱で締まりの無い笑みを振りまいていた。つまり理由なんていくつでもあったので、寮で同室と判明したその日から、聖川と神宮寺は何度も言い争うことになり、そしてそんな諍いを起こした日、神宮寺は決まって朝帰りをした。  

 

 聖川真斗は、その生真面目で清廉潔白なイメージと違うことのない、まさに定規で測ったような生活を送る男であった。夜は大抵日付の変わってしまう前には眠り、朝は日の出と共に起床する。だから、神宮寺がどこかでそういう事をして、そしてさんさんと降り注ぐ朝日と共にこの部屋へと帰ってきた時、聖川はすでに覚醒してしまっている事が多く、シャワーでは流しきれない化粧と香水と汗と、その他が入り混じったような、そんな性の匂いを、嫌が応でも彼から嗅ぎとる羽目になった。それは、聖川の胸にある嫌悪の感情をかきたてさせるのに十分な程に淫靡で、つまりは不快であった。  

 嫌悪。以上を踏まえて聖川真斗は神宮寺レンに対しての感情を、最終的にはそう位置付けた。忌むべき存在、拒むべき人間。聖川真斗にとって神宮寺レンはそういう男である。  

 

 しかしそんな聖川も、秘めたる感情とでも呼ぶべき、彼、神宮寺レンについての例外を一つだけ潜ませていた。  

 神宮寺レンは、その華やかな顔立ちによく似合う、ブロンドのように明るい髪の持ち主であった。一世風靡に世を騒がせたその母から色濃く受け継いだらしい彼のそれは、ターコイズの瞳によく映えるとても鮮やかな色彩をしていた。  

 幼い頃、父に連れられ参加したパーティの会場にて、シャンデリアにも負けずに光り輝くそれを初めて見た時、聖川はいつか絵本で見た獅子のことを思った。オズの魔法使い、エルマーの冒険。眠る前、目付け役に読んでもらう物語に登場するライオン達は、その性格こそ違えど、悠々と大地に立ち、大きくて立派なたてがみを太陽に光らせ、いつだって非常に美しい姿をしていた。  

 その姿に、自分にはなかった強さを見た聖川は、たちまちその虜となった。  

 毎夜毎夜、そのようなライオンの出てくる絵本を読んでほしいとせがんだ。主張の少なかった聖川がそのように望んだ事を喜んだ目付役も、そういう物語を積極的に用意してくれていたように思う。どんな物語であっても、大好きなライオンが登場するたび心を躍らせた。いつかその背に乗り、太陽の匂いがして、ふかふかとしているのであろうたてがみに触れることこそが幼い聖川の夢であった。  

 

 だから、聖川真斗は、そんなライオンに似た雰囲気を持つ、神宮寺のその髪のことだけは評価していた。華やかで存在感のあるそんな彼自身のオーラにその姿を見、惹かれていたといっても過言ではないかもしれない。実際、自室でふとした瞬間に無意識に瞳を奪われていたりすることもあり、そのたび聖川は察しのいい神宮寺に勘づかれはしないか気が気でなかったのだが、幸いにも神宮寺は聖川の動向になど全く興味がない、という顔をしていたので安心した。  

 聖川の中で、神宮寺の容姿に対する興味はどんどん膨らんでいった。この気持ちをいつか告げたら、神宮寺ははたしてどのような顔をするだろうか、とただ漠然と考えていた。  

 

 昼間のうだるような熱の残った、蒸し暑い夜であった。  

 その日は珍しい事に、神宮寺は夕暮れ時には帰ってきたかと思うと、そのまま自室で休息をとっていた。よっぽど疲れていたのだろうか、普段ならば(聖川は何度も注意をしたが神宮寺は全く聞き入れなかった)夏の夜風に晒されているはずのその体は、学園指定のシャツに覆われたままであった。よって、聖川は彼が休むその姿を、臆することなくまじまじと見つめる事が出来た。  

 神宮寺レンが、体に見合わない大きめのベッドに横たわり、長い手足を投げ出して眠る姿は、やはり伸びやかで美しい獣のようであった。何年もの月日を経ても変わらず豊かな色を保つ、聖川の好きなその髪は、上質なシーツの海にたゆたうかのように散らされて、明かりの消された暗闇の中でもなおその輝きを失わない。さらさらと柔らかく拡がり波打つ髪に、おもむろに、触ってみたい、と思った。  

 初め、聖川は、驚き、そして戸惑った。男の髪に触れたい、その欲望がはたして正常でない事など聖川にもよく分かっていたからだ。しかし一度その思いを意識してしまうと、それは途端に鎌首をむくむくともたげてきて、聖川を酷く困惑させた。触れたくて触れたくて仕方がない。憧れ続けたそれは、いったいどのようなさわり心地がするのだろう?  

 聖川は彼の髪に触れるため、ベッドサイドから身を乗りだし、大きく腕を伸ばした。瞬間、神宮寺がいきなり身を起こすと、聖川の伸ばした右手をつかむとそのままベッドに引きずりこんだ。神宮寺が体ごと覆いかぶさり、聖川の体はマットレスにぐうっと押しつけられる。  

 その時、聖川は神宮寺レンが寝呆けているのだと判断した。大方、昨晩夜を共にした女性とでも勘違いしているのだろう、擦り寄るようにして頬を寄せてくるので思わず赤面した。聖川はそういう事に対する耐性を全くもって持ち合わせていなかったのだ。  

 「…お前」  

 

 しかし低い声が耳元で響いて、聖川はその判断が誤りであるのを即刻理解させられる事になる。フェミニストで軟派で外面だけはとにかくいい神宮寺が、お前などという蔑称で呼ぶのは学園で聖川ただ一人であった。つまり神宮寺は、腕の中の存在を、聖川真斗だと認識した上で、自分にのしかかっている。そう理解した途端、恐怖と困惑が一気に口元にまで押し寄せてきて、聖川の喉は、ひゅ、と細く鳴った。

 「ねぇ、聖川お前、オレが怖いんでしょ」  

 神宮寺は楽しんでいるようでも、心底怒っているようでもあった。息のかかるような至近距離に居たのに関わらず、彼が目の前に居る聖川を見ているのか、それとももっと後ろの何かを見ているのか、その時の聖川には判断が出来なかった。 「お前の事なんて嫌いだ」  

 神宮寺レンはそう告げるとベッドを降りてリビングを抜けて行き、部屋にはやがてシャワーの音が響いた。

 

 時計は既に午前をさしていた。甘ったるい香水の匂いがするベッドの上で、聖川はまだ動けずにいる。